魔性論

ファム・ファタール(魔性の女)とは生きる芸術である。魔性を呼び覚ます言葉の魔術の探求の記録

芸術的に生きるとはどういうことか

「生きる芸術」になることが魔性の本質であると私は確信しています。

 

「生きる芸術」とは何でしょうか。わかりやすいものではないですね。

誰にでもできそうにはないように思えます。

 

私は「生きる芸術」になるとは芸術的に生きることだと考えます。

これは決して難しいことではなく、実際にはほとんどの人がやっている、あるいはやろうと試みていることです。

 

芸術的に生きるとは、自分の身に降りかかってくるさまざまな出来事に対して、自分の意志を持って対処するということです。

いいかえれば、美意識を持つということでもあります。

 

生きていると様々なことが起こります。

 

結婚、出産、離婚。

人との出会い、別れ。

信頼関係を築く、あるいは裏切られる。

 

社会の状況に振り回されることもあります。

このブログを読んでいる方の中には、コロナで失業した経験のある方もいるかもしれませんし、物価高で苦しい生活を強いられている方もいるかもしれません。

災害や戦争で大切な人を失うこともあります。

 

そうした日々起きる大小さまざまな出来事に対して、感情的に、条件反射的に「反応」するだけの人もいます。

メディアの情報に踊らされ、その場の空気に飲まれて行動する。

それを自分の責任でやっているという感覚もないので、失敗したら他人のせい。

振り返ったり反省したりすることがないので、いくら歳を重ねても子供のよう。

 

そのような人には「存在感」がありません。つねに大衆の群れの一部でしかなく、自由もあれば責任もある個人として生きていないからです。

 

魔性で生きると決めたなら、その瞬間から「自分」を生きてください。

身に降りかかってくる出来事はコントロールできません。しかしそれに対処する方法は自分で決めることができます。

 

感情的になるのはかまいません。悲しいことが起きたら思い切り悲しむべきですし、理不尽なことには思い切り怒るべきです。「感じる」ことは魔性にとってとても重要です。

しかし潮の流れのままにあっちへこっちへ流される、小さな魚の大群の中の一匹になってはいけません。

そのような生き方は傷つくこともあります。苦しいこともあります。

でも、その傷、苦しさは、必ず本当の自由、本当の幸福に向かっています。

 

 

 

自分の意志を持って生きることは、芸術的に生きることでもあります。

 

小説家が物語を書くとき、そこには必ず小説家の意志が反映されます。

「朝起きた」「会社へ行った」「上司と話した」と日記のように事実を羅列するだけでは物語になりません。

小説家がある意図を持って、登場人物の性格を決め、起こる出来事を取捨選択し、効果的な順序で展開することで初めて物語になります。

 

画家が絵を描くときも、キャンバスには画家の意志が反映されていきます。

人や自然をどのような大きさでどこに配置するか、どのような色で、線はどのくらいの太さで描くか。

画家が「美しい」と感じるその感覚を多くの人に伝えたい、という思いがそこに表現されます。

 

人生にはさまざまな出来事が起きますが、美意識を持って生きれば、小説家や画家の作品に彼らの意志が反映されていくように、私たちの人生にも私たちの意志が反映されていきます。

これはいいかえれば「人生が自分の思いどおりになる」ということでもあります。

魔性は多くの人を惹きつけるだけでなく、人生も引き寄せるのです。

 

 

 

今日はここまで。あなたの人生がより色彩豊かに、瑞々しいものになりますように。