魔性論

ファム・ファタール(魔性の女)とは生きる芸術である。魔性を呼び覚ます言葉の魔術の探求の記録

魔性の女に必要なもの

魔性の女が現世を生きていく上で、決して失ってはならないものがあります。

 

それは「誇り」です。

 

「人間として、女として、生き物(野生動物)としての本能的なプライド」と言ってもいいかもしれません。

魔性の女でありたいなら、決して誇りを失ってはなりません。

 

誇りとは、人間関係における「一線」のようなものかもしれません。

ここまではOKだけど、ここから先には無条件では進ませないよ。という境界線を、他人との間にしっかりと引きましょう。

たとえそれが家族であってもです。

 

特に私たち日本人、とりわけ若い人たちは、とにかく「いい子」であることを教育において求められてきました。

波風立てないこと、和を乱さないこと。

ルールのためには、多少不満があっても我慢すること。

 

魔性の女になりたければ、そのような習慣は忘れてください。

自分がルールです。

「私のルールを破ることは私の誇りが許さない」という態度を貫いてください。

 

難しそうですね。確かに簡単ではありません。

これは「もし自分の子供が誰かに傷つけられそうになったら」と想像するとわかりやすいです。

 

あなたの子供が、たまたま視力が弱くて、まだ3歳なのに眼鏡をかけなくてはならなかったとしましょう。

それを見て何も知らない(知ろうともしない)年配の女性が「あらまあ、かわいそう」と言ってきたとします。

そこで、何も言わず黙ってスルーするのが日本人的なやり方ですね。「年上の目上の人には逆らわない」という「ルール」も教え込まれてきましたしね。

しかし、魔性の女ならそうはしません。

 

「いえ。この子はかわいそうではありません。」スッと姿勢良く相手の目をまっすぐ見て、ハッキリと言ってください。

やり返すためではない。我が子の心を守るためです。3歳ならもう、自分が「かわいそう」と言われたことは完全に理解してしまいます。それを母親のあなたが、我が子のためにハッキリと否定してあげてください。そうすることで子供は安心します。

 

相手の年配女性にやり返すためではなく、むしろ自分と自分の子供の心のために、きちんと言い返すことです。

このような行動をとることは、嫌な出来事を記憶に残さないためにも必要です。

言われっぱなしだと「あの時あんな嫌なことがあった」と後々まで忘れられないものですが、どんな形であれ言い返しておけば嫌な記憶として残ることはありません。

不思議なことに、時間が経てばキレイサッパリ、言い返すのにどんなに勇気が必要だったかということも、全部忘れてしまいます。

蚊に刺されても時間が経てば何事もなかったようにきれいな皮膚に戻るのと同じです。

このような習慣は、自分の中にトラウマを作らないためにも普段から意識しておく必要があります。

 

これと同じ習慣を自分に対しても行ってください。

大事な我が子を傷つけることを許さないように、大事な自分を傷つけることは決して許さないという「誇り」を持つ必要があります。

 

しかし、安心してください。実際のところ、ひとたび魔性の女になってしまえば、あなたを傷つける人など滅多に現れません。

それどころか、皆あなたを喜ばせたくて、勝手にあなたのために動いてくれるようになります。

 

花を飾ると、部屋を片づけたくなりますよね。綺麗な花瓶に入れて、綺麗なお水を毎日あげたくなります。

実はそれは花が「ただ綺麗で可愛い」からではありません。美しさと同時に、生き物として、野生動物としての誇りを高く持っているからなのです。

私たちは花を愛でていると同時に、どこかで恐れてもいるからなのです。

 

逆に、どんなに見た目が綺麗で可愛くなっても、誇りを持たなければ、あなたを傷つける人は現れ続けます。それどころか、見た目が良くなると目立ちますから、傷つける人も増えてしまいます。

 

誇りを身につけると、戦わずして勝つことができるようになります。

あなたを傷つける人などいなくなるのですよ。

誇りを身につける方法は、「魔性を目覚めさせること」につきます。

 

今日はここまで。あなたの人生がより瑞々しく、色彩豊かなものになりますように。

「生きる芸術」になるには

こんにちは。さっそく、「生きる芸術」になる方法を紐解いていきたいと思います。

 

安直ですが、「生きる芸術」になるには、自分がたくさんの芸術に触れること。そしてできれば自分自身で芸術的な活動をすること、これが一番の近道だと思います。

 

ダンサーや音楽家の方をテレビなどでお見かけすると、思わずじーっと見てしまうほど魅力的だと感じたことはないでしょうか。

私は特にバレリーナの方やクラシック音楽演奏家の方を見た時、美しさに魅入ってしまうことがあります。

 

それはきっと彼女たちが「体を使って芸術を表現すること」に魂を注いでいるからではないかと思うのです。

 

「体を使って芸術を表現する」とは「生きる芸術になる」ということにほかなりません。

 

私自身はそのような表現活動は行っていないのですが、美術館で絵画を見たりクラシックの演奏会に行くのは大好きです。

テレビや録音された音源などで触れるのではなく、やはり直接足を運び触れる方が満たされる体験ができると実感します。

 

もし可能であれば、自分が心惹かれたアートに直接「会いに」行ってみてください。

おすすめはやはりバレエやオペラ、クラシックなどの上演ですが、「満たされる」感覚があるのであればどのようなジャンルでもかまいません。

 

魔性の本質は女性の「感受性」にあります。ぜひいろんな体験をして、深く感じ味わうことに集中してみてください。

 

インスタグラムを開設しました!これから少しずつ投稿していきます。@mondundine

 

今日はここまで。あなたの人生がより色彩豊かで、瑞々しいものになりますように。

魔性の女は「生きる芸術」である

お久しぶりです。みづきです。

このブログを始めてから月日は流れ、5年以上も経ってしまいました。

 

あれから個人的には結婚・出産を経験し、こんなに時間が経ってしまいましたが

「魔性の女」のことはいつも心のどこかにありました。

このブログのことも半ば忘れていましたが、PV(が何かいまだにわかってないけど)は少しずつあったようで、

なんとこれまで3万回以上アクセスがあったようです。

 

この5年間で魔性の女についてまた色々なことを考え、経験もしたので、これからまた少しずつ綴っていきたいと思います。

 

魔性の女について確信をしたことがあります。

それは彼女が「生きる芸術」だということです。

魔性の女、またはファム・ファタール。それは人間の歴史とともにあります。

人間が社会の中でコミュニケーションを繰り返すうちに

文学や演劇、絵画などの芸術で「破滅的に魅力的な女性」が描かれ、それが魔性の女、ファム・ファタールという言葉で表現されてきました。

だから、ファム・ファタールの本拠地、故郷、棲むところは芸術の世界なのです。

 

芸術とは人間の社会そのままではありません。人間社会の現実に、人の想像力によって手が加えられた虚構、いわば「加工された現実」です。

だから、現実のようでいて現実ではない。

 

そんな不思議な存在が、生きた女性として、もし今あなたの目の前に現れたら?

きっとあなたが男性か女性かに関わらず、きっと説明できないほどに惹かれ、魅了されてしまうでしょう。

 

そんな魔性の女、ファム・ファタールに、あなたもなれます。

5年前はそれを言語化できず、ブログの文章は混沌としていました。

これから本当の女、本当の自分、真の魔性を生きる方法をこのブログでお伝えしていきます。